商業的な欲がない人達が生み出す商品

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時々お邪魔している「工房まる」

僕が初めて知ったのは数年前、八智代に連れられて工房の一般公開みたいなイベントに行ったときだった。驚いたのは、まず、空気が違う。この違いはなんだろう???

そして気づいたのが、、、

誰がスタッフで誰がメンバー(障害者)なのかがほとんど分からない。

スタッフとメンバーの対等感。障害を持っているがゆえにできないことはもちろんある。しかし、それを分かってその部分はケアした上で対等につき合う。それにより「やってやる側」と「やってもらう側」という関係が僕らからみるとほとんど見えないくらいになっているのだ。実は今でもお邪魔したら、だれに話しかけたらいいのか結構迷うんだよな、、、、笑

野間のアトリエの入口付近の売店に並ぶ商品、そしてその奥のアトリエ生まれる絵や焼物などの作品から発散される躍動感みたいなものに、美術と言われるものには興味もなかった僕でも「これはすげえなあ」と感じた。

そして、僕がさらにすごいと感じた点は、売店に置かれている作品を見ていて、私設の商品のタグなどに必ずといっていいほど書かれている「障害を持った人が一生懸命作った商品です」というような表示が一切なかったこと。

誤解ないように言っておくと、別にそんなタグを否定する訳じゃないし、実際、それらは障害をもった人たちが作った物であり、それを正しく伝えているのだから、それは事実として書いてあってもかまわない。

でも、そんな表示は、それを実際に作っている人たち、彼らが常に望んでいることなのか?実際に作っている障害を持っている人たち、そして、現場である施設やスタッフの人たちの中には、それを作った人が障害を持っているとか、持っていないではなく、純粋に作品や商品をみて欲しいという人もいるんじゃないだろうかといつも疑問に思っていた。

もちろん僕らも商品のパッケージを作る時に、例えば農家のオバちゃんが作った味噌だったら

「麦農家のおばちゃん達が手作りで作った麦味噌」

とか書くかもしれないが、それは「麦を作っているオバちゃんが自ら作っているので美味しいですよ。」ということで、商品の質の良さを伝える為にかいているわけで、「障害を持った人が一生懸命作った商品です」という表記とは違う。

「障害を持った人が一生懸命つくった商品なんで、可哀想だから買ってあげてください」

僕にはどうしてもあのタグがそう言っているように見えてならないのだ。僕がひねくれてるからそう見えると言われるかもしれないが、、、、。

「障害者は可哀想だから、、、してあげなければ」。
もちろん障害を持っているというのは色んな意味で弱者であるのは事実。
でも「可哀想な人達」という上から見るような言葉で終わらせてしまっていいのか?それは本当に優しさなのか???その疑問は、ずっと僕の胸の中にあったが、ケアすべき部分をケアした上で対等に付き合う「工房まる」の活動を見て、すこし雲が晴れた気がした。

もちろん僕は全ての商品から「障害者を持った人たちが一生懸命作った商品です」というのを外すべきといっているわけではない。

実際、「障害者の人たちをサポートしたいから障害者が作ったものを優先して買う」という人たちも多いと思うし、それは本当に素晴らしいことだし、そんな買う側の思いで支えられている商品や施設が現状では、ほとんどなんだとおもう。だから、「障害者が作った商品」ということを全面にだすことが消費者が商品を選択する為に重要な意味がある商品もあるだろうし、それが商品を販売する為にプラスになっているのであれば、「フェアトレード商品」同様に、大きく書くべきなんだとおもう。

しかし、非常に完成度の高い商品や作品、美味しい食品を見ていると、できる商品や分野、できる施設だけでいいから、一歩外の世界に踏み出して、勝負していくことも、これから長い人生を生きていかないといけない障害をもった人たちが自分達の力と才能に自信を持つ為には必要なんじゃないか、、、そんなことをおもってしまうのだ。

「工房まる」にお邪魔するようになって、障害を持っていようが、持っていまいが、人それぞれに持っている可能性があるんだということを知識としてではなく、実感として感じたし、「アート」を武器に、社会に「お願いして買ってもらう」のではなく、対等な立場で「堂々と戦いを挑む」覚悟、そして自信みたいなものを「工房まる」や同じように頑張っている「葦の家」「アトリエブラヴォー」等の施設の活動にはワクワクさせられる。

障害者のアートの人気の高まりについては、実際、ちょっとした「ブーム」というのもあるかもしれない。でも、彼らのアートの僕らを柔らかい気持ちにしてくれる独特の世界は、もっともっと長い目でみれば流行なんて関係ないし、なにより、作品を作っている作家さん達自身の「作品を作り出す喜び」には商品が認められるとか、作った作品が売れるとかいうことは、もともとなんの関係もないことなのかもしれない。そんな「商業的な欲がない人たちにより生み出される商品」という不思議な商品達が放つ個性は「如何に売れる商品をつくるか」を考えて作られる世の中の商品達の中で、必ずその輝きを放つはずなのだ。
by nocorita | 2011-06-05 13:52 | 友人 | Comments(1)
Commented by 弁当屋 at 2011-06-10 15:29 x
この間は残念でした。
それはさておき・・・
木の葉モールで初めてこれらの商品見たけど、何かビビッと来た。
上手く言えんけど何か感じた。
私はホント美術的なセンスはナッシングな人間やけん偉そうな事は言えんけど、‘すげー!’ってだけじゃなく商品に凄くパワーを感じた。売り方もあーたが言うごと、「障害を持った人が一生懸命作った商品です」とか書いてないけん、‘ここが‘あの’工房まるなの?’って思ってしまった。この‘あの’っちゅう私らの感覚が一番厄介なもんかもしれんね。何か訳分からんコメントになってしもうた。すんましぇんm(__)m


2009年春に能古島へ引っ越した僕らの仕事や生活の事


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